暗闇を無くしたいと思っていたのは私だけだった。

前回の続きであります。大体1500文字。3分程度で読めまする。

納戸を開く主婦
納戸を開けてうんちくを語る群青亜鉛

実家のお困りごとを解決、したかったのである。が。

実家のトイレ前の廊下の足元にいいんじゃないかと思い、母親に薦めたセンサー付きライト(電球色 光源:3W LEDX1灯)は、結局4ヶ月弱でお蔵入りとなる。

母親にいらん理由を聞くと、電池を交換するのが面倒だ、単二の乾電池を4本も使わないかんのはお金がもったいない。ということであった。うーむ、単2の乾電池を4本、2ヶ月ごとに交換するのは、大変 であろう。買い続けるのも重荷である。わからんこともない。

それでは父親が暗くて夜トイレの時に困るんじゃないか?と思ったのだが、父に尋ねてみると、天井の電灯つけたら間に合う。別にいらん、ということであった。


思いこみは激しかったのか

なんじゃそれは。

最初は喜んでくれていたではないか。

一方的な押しつけの愛だったというわけか。

どう考えても、どう見ても、暗いやろ、あの実家の廊下~!!と私は思う。

明るくしたくないのかー?


陰翳礼讃

しかしながら、父も母も、私が感じるよりも、はるかに暗がりに不自由を感じていない様子。

父上が、これで十分大丈夫だ、という廊下の天井の灯は、多分15ワットの輪っかの蛍光灯。殆ど点けることがないから、かなり古~い長持ち君で、ちょっと明るくなる程度の明るさ。

昼つけても暗いままであまり変わらないのだが、夜には目が覚めない程度のぼんやりいい具合になるのだろう。

どう考えても実家の家の中は暗いのに、父も母も不自由を感じていない理由を考えてみた。

1.親世代、暗さには慣れている。
(二人とも、小学校低学年時空襲体験世代。)

2.両親二人、どちらも視力はいい。(そこにプライド高く、近距離が見えていないことに気づいていない)

3.勝手知ったる自分の家、多少暗くても特に困らない。(敷居に段差が1から2センチあるが、つまづくことがまずない。)

谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を思う。 日本家屋の暗闇をよろし、とする随筆。(と言うてしまってもいいかしらん。)

しみじみ、、、まったり、、、、そうか、ゆとりの心なのだな、日本家屋。

暗闇は嫌いではないが、、、、片付けや、家事をする時は、私は
暗闇は、いらんいらん。

イライラするの。


困っていたのは娘の私だけ

結論

実家で困っていたのは私だけだったのである。

同居しているわけではないが、だから余計に第三者の立場で、実家の様子を見ることが、、、出来ると思っていた。

私が思っていた徒然は、
廊下の足元が暗いから、なんか掃除出来てなさげ。

明るくなったら、掃除もっとするようになるんとちゃうか、とか。

もう一歩先には思惑があったことは否めない。

いつも実家に行くたびに、暗闇が気になっていた。

暗いから見えんのよ。見えないの。何がどうなってるかよくわからんの。(わたしがね。)


暫く冷静に見つめてみんことにゃーわからんです

勝手口のたたきの下の足元に、明かりつけたらいいんちゃうのん?

足もつれないか?とか。

勝手口の足元明かりは最初提案したが、いらないと言われ、
?足元いつも暗いやん、なんでかなーと思って、出入りを重ねていると、

大概勝手口は昼は開けるので、外の光が入ってきて、たたきの奥まで照らすから、灯は別にいらんのだね、ということに気が付く。

ああ、空回りである。

うーん。


自分の日常とごっちゃにすると、あかんみたい

家事をするときには、暗がりは邪魔である。自宅をずーっと片付けモードな自分であるからして、自分の視点でモノを考えてしまいがちだったと言うことだ。

実家がああだどうだと言う前に~。人の家がああだどうだとえらぶってうんちく垂れてしまう前に。

自分の環境を居心地のいい空間に整えることを優先して、さらにじっくり取り組みを進めることが大事な気がいたしました。

結局、そのセンサー付きライトは、我が家に来ました。
我が家のトイレ前の足元灯になっております。

はい、また来週。^^)


筆者

【群青亜鉛:ぐんじょうあえん】
◆プロフィール◆カイゴのつれづれを、家族介護者の視点から、えっちらおっちらウェブにて発信(since1998年)。ばあちゃんへの”いっちょかみ介護”実践する。
◆介護関連著書◆
介護のお助けマンガエッセイ
介護用具・日用品カスタマイズ本(共著)
◆ウェブ連載◆
こちらウェブマガジン ”介護ライブラリ”にて「自宅で介護お助けヒント集」
“介護ライブラリ” 〜介護の悩みを減らしたい〜

◆ホームページ◆
群青*介護ブログ https://gunjoblog.wordpress.com/


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