介護者同士で話せる会 について 

昨日3月17日の読売新聞に掲載されていたので、画像で撮って、掲載させて頂きました。大事な大事な情報です。ざっくりどうぞ読んでみてくださいませね。

この記事をきっかけとしてちょもちょも思うことを。あっ、批判とか批評ではありませんからね。だって介護者の会を一言で説明するって簡単じゃないんですもん。

介護者の会に関する記事は実はどの新聞にも定期的に紹介されている様に思う。テレビなどでも紹介されている。目的によっても適した場所は違う、とこの記事中では言うてくれてはる。そのとおり〜なんだよなぁ。でも自分に合うところを探して、とはほんまそうなんだが、そのパワーがご本人に残っているかどうかはわからない。ぎりぎりの状態ではもう他は探せない、ということもあるのが正直なところだ。

結構集まりにいくのは、体力と精神力が必要、、、なような気がしている。えいやっ、とおもたい腰を上げて、ようわからんまま参加してみて、違和感感じて、あ、私は話を聞いて欲しかっただけなのね、と気づく人もあるだろう。

必死のぱっちで辿り着いた時にはもう介護疲れ(体力だけでなく、精神的にも)でいっぱいいっぱいな人も多いので、他の集まりを探せるかどうか、辿り着けるかどうか。参加してみんとわからんのはほんまそうなんですけど。

他の皆さんがどうしてるかを知りたかっただけ、というものあるだろうし。あ、私は助言が欲しかったのね、と思う人もいるだろう。 参加してみて始めてわかったり。

最初っから自分が何を求めているのかわかってる人も少ない気がします。

気が合いそうな人がその中にいるかいないか。信頼出来そうな人がその中にいるかいないか。話せそうな人がいるかいないか。カンみたいなものも働かせながら参加してみてください。カンは大事です。まあ、会が大人数か少人数かはその次かなあ。その会の場では話は出来なくても、その後、少人数でお茶をする場合もあるでしょうし、そんなんに参加してみるとか。

こりゃあかんわと思ったら、もう見切ってもいいだろうし。でも見切っちゃうと、切れちゃうからね。大事なつながりなの。本当に。糸ぐらいでもつながりはおいておいてほしいのだわよね。本当にエネルギーがなくなったとき、その糸は、生命維持装置ぐらいの力があるからです。

基本的には介護者家族会には前向きに思っております。うまいこと活用してください。介護経験者が集まり、いろいろありながら、切磋琢磨しながらも、ずっと続いている会です。情報が集まっているのは間違いがないですから。

はい、以上、介護者会同士で話せる会の会員歴19年、その中での世話人歴17年になる群青亜鉛のつぶやきでした。 

※探している方は、地元の社会福祉協議会に連絡して、聞いてみるのもひとつです。認知症の方を介護されている方は早めに連なっていただけたら。 もう看れない!助けて!となって駆け込まれ、結構進行が進んでいる場合が多いので、もっと早く相談してくれたらなんとかなったかもしれないのに、、ということを聞きます。早めに相談をされると様々な方向から対策を考え、自分で選ぶ事が出来る、、、とおっしゃる方が多いです。

行かないほうがいい介護者会、認知症カフェ?

20141004びっくりgunjoaen

介護の猛者。何十年も介護を続けている方々、介護の強者はおそらくあちらこちらに出没する。この方々は「素晴らしい!」と賞賛される事が多い一方で、タチがよぅない一面もある、と私は感じている。人にもよるのだが、なかなか取り上げられることが少ない様に思うので、記してみたいと思う。

10日前にも記した記事の一部だが、長すぎた。読みづらかったので、再度、中をプラスして書いてみる。

次のは先日、ネットで見つけた対談記事である。一人で暮らす認知症のお母様を遠距離で介護しておられる作家・ブロガー、通称「くどひろ」さん。内容に共感。笑た笑た。短い言葉で、上手いこと表現しはるなあー。

認知症の人とその家族が気軽に立ち寄れる“介護カフェ”“認知症カフェ”というものがあって、そういうところを利用するのはおすすめです。でも、そういうカフェの情報を得られない人も多いので、僕の本の中ではおすすめできるカフェや行かない方がいいカフェの見分け方を紹介しています。

例えば、何十年と介護をしている “介護戦士”と呼ばれる人がいるようなカフェは避けたほうがいいですね。彼らはすごい知識と経験があるんですけれど、自分がしゃべるばかりでこちらの話なんて聞かないですから。

介護ポストセブン 「介護される側になることも考えるようになりました」
あっけらかん×しれっと 人気介護ブロガー対談 工藤広伸さん×なとみみわさん 【第3回】
より引用。

磨くだけか。ツッコミ力

こちらは私の個人的体験である。他の家族会に参加しても、その“介護戦士”とも言える、介護の熟練方が朗々とご自身の体験と介護論を語られることがある。これが又、大体ものごっつい長い!!自己表現の場にもなる家族会。賞賛を浴びる一方で、(否、〜素晴らしいですね、としか言えないもんで)初参加者は呆気にとられ、ちぃとも話せず、萎縮する、という風景を何度も見ている。ご本人に罪はない。勝手に分類別にして、タチが悪いと感じている私だからだ。

近頃は、その醸し出される雰囲気で、悪影響(?)猛者か、わかる様になってしまった。そんな人がおられると、私の意識は一気に引く。フォーカスではなく、その周辺の人々の反応や振る舞いも含めて冷静に観察だ。

これは当事者会の世話人(世話役)としての私の考えです。猛者は居はっても、やね。介護者会は、介護に困ってる人には、介護で孤立しない様に、社会とのつながりを持ってもらう第一歩とも言える大事な会。命綱の様な面もある。新しい方も入りながらも、いい会にしたい、継続させたい、来て頂きたい訳である。酸いも甘いも踏み越えて、運営を模索するのである。

口もお達者な御局姉御猛者。ずっと来て下さる遥かご年配の 介護卒業生様。すんません、当事者会は、楽しい老人会になってもあかんのです。世話人が、猛者のお守りをする様になってもいかんのです。よいしょのし過ぎも勘違いを生みます。(とわたしは思う。)

ツワモノもたてながら、現在介護中、や介護が始まったばかりの方々にも来て良かったと思える介護者会を運営したい。

磨け、ツッコミ力。  笑い合える信頼関係か。

これで、ウンウン頭を悩ませている人が全国には ようさん いはるはずなのである、、が、、、あんまり目にする事はない。これはなかなか記すのも難しくはあるものの、、、、まあ、逞しゅう〜に関係が出来た方には鋭いツッコミも入れつつ、ユーモアのある一言ヂカラを養う毎日です。

なんでわざわざ又認知症を勉強し直す必要があるの?

特別養護老人ホーム内で、認知機能障害のある入居者さんが、間違って別の家族に「なぜ家に帰してくれないの?」と詰め寄ってきた時、その家族がしたらいい対応の一案を、一コマイラストで表現。その入居者さんの気持ちになって、職員さんに「なんでこの方、家に帰ったらダメなんですか?」と一緒に怒っているひとコマイラスト。
特別養護老人ホーム内で、認知機能障害のある入居者さんが、間違って別の家族に「なぜ家に帰してくれないの?」と詰め寄ってこられた時、その家族がしたらいい対応の一案です。

↑ 祖母の入所中特養にて、他入所者さんへの関わりを模索?する家族の図〜


当事者会で、ご年配の方のお考えや背景を尊重しつつ、新しい提案を通すのはなかなか大変です。

タイトルの、なんでわざわざ又認知症を勉強し直す必要があるの??というのは、当事者会(介護者家族の会)のご年配、世話人さんにわたしが言われた言葉である。


そのご年配世話人さんは、「もう沢山教科書はテキストが出回っているし、みんな一通りはわかっているんじゃないの?」と、勉強会には、あまり乗り気ではないご様子なのである。

新入会員さんが、雑誌に掲載された認知症に関する記事を持参下さり、勉強会の参考にならないだろうか?とのことだったので、よし!やってみようかと前向きに今動きかけているところである。

「今更、、」という方がいらっしゃる一方で、 必要性をとても感じる方もおられる。私もその必要性を感じる一人だ。


認知症について、知った気になっているというのはとても失礼な話に思えるのだが。

先日もこのブログに記したが、世の中に出ているテキストを盲信する方もおられるのである。

“対処の仕方なら、こんな場合はこうやってこうやって、こうしたらいいんでしょっ、、、 私でも知ってるわ。ちゃんと資格の勉強した時の教科書に載ってましたからね。” と、、、。

そんな雑に言われたら、私、家族だったら嫌ですけど。本人だったらもっと嫌。(大汗)

でも言えない。ワタクシ言えないが、思っている。 

そ、それは、今おっしゃったのは、いつの知識ですか、、、?




うーん実際に認知症の方と関わっていない方からすると、マニュアルは新聞やテレビなどからも得られるから、もう学びはいらない、ということの様子である。 「嫌よ、わざわざいらないわっ!」なオーラがじわじわと滲み出るのである。

しなしながら、ご本人の気持ちを考えたらそれはおかしいやろうと思える対処のやり方も、公にノウハウとなっていたりする様に思うこともある。

テキストを盲信するのも、うーん違うんじゃないんだろうか?


一般に出回る認知症を理解する教則本に、当事者視点が抜け落ちている気がしている。

当事者視点が抜け落ちていることに、当事者会はもっと敏感になってもいいんじゃないかと思うのだ。それにどんどん変わる常識も新たに(?)学んでおいて損はないんじゃないだろうか。

なんでこんなに話し合われるのか、スムーズに行かないのかと言うと、私が世話人をしている当事者会は、実際に認知症の方を介護した経験のある方は多くはない。

過去に2回、認知症サポーター養成講座もしているが、グンジョーアエン、やんややんやと唱えてようやくな開催だった。

もうそれもやっているし、改めてわざわざいいんじゃない?とそんな意見があるのである。 

ほんでもって、やることにはなったのだが、どう進行したらいいかいのうというところがまた簡単ではない。先ほど述べた、認知症サポーター養成講座でもないし。


知識があると思っている方に限って、上から目線になりがちでは

知識のある人に振って、朗々と語ってもらうのも、NGだと私は思っている。知識がある人に限って、知ったかぶりで、有無を言わせぬ上からの教える目線で話してしまう。

そしてその内容を盲信する様感じる、、、、悪循環なのである。

新しい会員さんからご提案頂いた、参考の雑誌記事を読ませていただくと、そんな行動をするご本人の理由を考えてみましょう、、、、と言うところが重点的に丁寧に書かれている印象。 この視点は大事である。 一般の方でもよくやりがちなこともしっかりと記してあると思える。

経験のある方にも伺いながら、学ばせていただくと言う姿勢で臨もうか〜、と今の所考えているのです。


筆者

【群青亜鉛:ぐんじょうあえん】
◆プロフィール◆カイゴのつれづれを、家族介護者の視点から、えっちらおっちらウェブにて発信(since1998年)。ばあちゃんへの”いっちょかみ介護”実践する。
◆介護関連著書◆
介護のお助けマンガエッセイ
介護用具・日用品カスタマイズ本(共著)
◆ウェブ連載◆
こちらウェブマガジン ”介護ライブラリ”にて「自宅で介護お助けヒント集」
“介護ライブラリ” 〜介護の悩みを減らしたい〜

◆ホームページ◆
群青*介護ブログ https://gunjoblog.wordpress.com/


地域は高齢化。介護者家族会はお若い層が。

40代50代の方が増えてきている。 

殿方ホイホイ。

数年間、当事者会のまとめ役を仰せつかったことによる、頭の固まったご高齢の方は嫌だああああ!は相当なもの。必要以上に関わりたくない、エネルギー吸われるのは勘弁だ。時間が勿体ない、、、、と感じてしまうのだ。

別の当事者会では、40代50代の方が増えてきており、ワカモノと話せる嬉しさを感じる。あるいは世話人(世話役)さんでも、娘世代が入ってきたと言うことで、”わたし娘が欲しかったのよー”と言う方の、お元気に一役買っていたりもする。

おそらく地域のコミュニティーでもそんな風景が見られるのではないだろうか。



この10年、当事者会への参加者入会者は激減

この10年、当事者会への参加者入会者は激減した。介護保険スタート前後に出来た当事者会は多いと思われる。皆さんの頭の片隅にあがる会はどうだろう?

わたしの関わる会は、一時は当初の半分以下になった。

もちろん地域包括支援センターという介護の相談窓口が一般的に認知されたことも大きな一つの理由だろう。そのほか挙げればキリがないが、集い場や、認知症カフェの広がり、インターネットでも情報が気軽に手に入るSNSの普及と、相談のしやすさなど。それを危機感を持つかといえば、、、持ってもしゃーないと思うのだ。





会員さんの人数は大切だが、それを追っかけても。。。

人数が人数か、、、増やさないといかん、と思っていると、頭が新興宗教(?)の勧誘の様になってしまう。相談に来られた方を「数」「point」と見る様になってしまうのでNGだ。

初めて参加された方の、フォローを世話人(世話役)の中で担当決めなきゃ♪とか色々システム化したがるのは大体殿方だ。けれども実は既に見えないところで、そのフォロー体制は出来ていたりするのだ。

参加人数が〜、数が〜システムが〜と声高に叫ぶ殿方には、「ふん、余計なお節介じゃい」などとわたくし思ったりすることもある。

見えないところのフォロー体制は、初参加の方のお隣にはこの方。とか。配慮出来る世話人さんは昔からそういうことをされている。


会は始まったらどう転ぶかがわからないので、今日はとんでもない方向に行ってしまった、と思った時に、さりげなくフォローをしてくださる方はいらっしゃったりもする。

しかし、抜け落ちることもある。それは、、、どうしようもない。周辺が見える方ばかりではない。介護中の方は自分ごとで精一杯だったりするので、フォローが負担になってもなあと思う。出来る人とできない人がいるのは確かである。


出来る方がする、のが当事者会だろうとも思う


まあ、これを論ずるのがお好きなのは、、、殿方でございまして。けれどそれがマイナスと言うてるわけではありません。

当事者会の世話人会(世話役会)がスムーズに流れるようになるには、女子力だけでは難しゅうございます。殿方に入ってもらわんと。殿方半々ぐらいがちょうど良い感じに思えまする。まあ、45パーセント。は、いて頂きたいですねえ。

そうでないと、、、、世間話で時間を取られたり、これはホントに困ります。


結論:介護者家族の会の世話人男女数は半々がよいです。

世話人男女数は半々がよいですわ、現状を変える第一歩かも。と思っておりまする。


筆者

【群青亜鉛:ぐんじょうあえん】
◆プロフィール◆カイゴのつれづれを、家族介護者の視点から、えっちらおっちらウェブにて発信(since1998年)。ばあちゃんへの”いっちょかみ介護”実践する。
◆介護関連著書◆
介護のお助けマンガエッセイ
介護用具・日用品カスタマイズ本(共著)
◆ウェブ連載◆
こちらウェブマガジン ”介護ライブラリ”にて「自宅で介護お助けヒント集」
“介護ライブラリ” 〜介護の悩みを減らしたい〜

◆ホームページ◆
群青*介護ブログ https://gunjoblog.wordpress.com/


笑える突っ込み力が必須。介護の猛者に振り回される当事者会。

このままでは舐められる?水戸黄門の如き、印籠とは。

眉間のしわをのばしますのイメージ-gunjoaen

当事者会の運営世話人として関わったのは、10数年前からだ。

その若造、わたくし群青亜鉛。いっとき、そのまとめ役を仰せつかることとなった。

なかなか収集のつかない世話人会。やんややんやで止まらない、長年の介護経験者の崩されてたまるかぃ、な自負心と、世間話に時間の無駄を感じた。

定例会でもその傾向が見え隠れ。ストレス解消目的(自覚がないとしても)に会に来られるのはいいとしても、参加者置いてけぼりでは、、、、。

同時に軽くあしらわれる自分の存在にも危機を感じる。このままではへなちょこは舐められる。あらら。

世話人(世話役)ご年配メンバーのおられる中で、
ええい、これだと、出した印籠。

“わたしゃ、
この介護者会が出来て すぐ位から、入会している。”


長くいるからとて、偉いわけでもなんでもない。むしろそれを言うことはお恥ずかしや、であるのだが、兎にも角にも新米とちゃうわい、という内容をさりげなーく発言に込めた。

ー嘘ぢゃない。世話人さんの中では最長在籍会員だ。

”入会は最初の方からでも、あーたは出席全然されてなかったじゃないの。”と会員さんから言われることもあり、今思い出してもムッとする心持ちになるが、当然だ。

ほんまの介護中はそんなに頻繁に出席できまへん!

介護保険が始まってすぐ位に出来た当方の介護者会。 わたしゃ、30代前半の頃から“高齢者を介護する介護者の会”へ入会した。祖母を介護する孫介護は誰もおられなかった。今でもいないが、、、そんな人もいらっしゃい!で、受け入れオッケーなのである。

実際、安らぎよりも、学びたいことが山ほどな時期である。外出企画は時間の無駄と思い、ちっとも参加していない。新年会忘年会もしかり。通常の交流会の方が情報が得られて面白かった。

と、わざわざこんなことを書いてしまったのはつい先ほど、ネットで以下の介護ブロガーさん対談の記事を読んで心がざわめいてしまったからである。引用です。内容に共感。笑た笑た。短い言葉で、上手いこと表現しはるなあー。

行かないほうがいい、介護者会、認知症カフェ?

――最後に、今現在介護で苦しんでいる人たちに伝えたいことはありますか?

工藤広伸さん 

認知症の人とその家族が気軽に立ち寄れる“介護カフェ”“認知症カフェ”というものがあって、そういうところを利用するのはおすすめです。でも、そういうカフェの情報を得られない人も多いので、僕の本の中ではおすすめできるカフェや行かない方がいいカフェの見分け方を紹介しています。

例えば、何十年と介護をしている “介護戦士”と呼ばれる人がいるようなカフェは避けたほうがいいですね。彼らはすごい知識と経験があるんですけれど、自分がしゃべるばかりでこちらの話なんて聞かないですから。

介護ポストセブン 介護される側になることも考えるようになりました|あっけらかん×しれっと 人気介護ブロガー対談工藤広伸さん×なとみみわさん 記事より。【第3回】

一人で暮らす認知症のお母様を遠距離で介護しておられる作家・ブロガー、通称「くどひろ」さん。先ほどネットで見つけた記事である。内容に共感。笑た。笑た。短い言葉で、上手いこと表現しはるなあー、と頷いた。

磨け、笑えるツッコミ力!

他の家族会に参加しても、その“介護戦士”とも言える、介護の熟練方が朗々とご自身の体験と介護論を語られる。(これが又、大体ものごっつい長い!!)賞賛を浴びる一方で、(素晴らしいですね、としか言えないもんで)初参加者が呆気にとられ、ちぃとも話せず、萎縮するという風景を何度も見ているからだ。


しかし、世話人(世話役)から言うとやね、、、猛者は、いはってもやね。介護で孤立しない様に、社会とのつながりを持ってもらう第一歩とも言える大事な会なので、新しい方も入りながらも、いい会にしたい、継続させたい、(T T)来て頂きたい訳である。酸いも甘いも踏み越えて、運営を模索しているのである。


ずっと来て下さるはるかご年配の 介護卒業生。口もお達者の猛者、姉御。すんません、当事者会は、楽しい老人会になってもあかんのです。世話人が、猛者のお守りをする様になってもいかんのです。よいしょのし過ぎも勘違いを生みます。(とわたしは思う。)

そちらもたてながら、しかしながら、現在介護中、や介護が始まったばかりの方々にも、来て良かったと思える介護者会を運営したいのだが、生真面目に考えても、埒があかずに暗ぁなる。

磨け、ツッコミ力。  笑い合える信頼関係か。

これで、ウンウン頭を悩ませている人が全国には ようさん いるはずなのである。だもんで〜〜〜〜っ。  続きます。

当事者会運営に頭を悩まされている方に。(当事者主体・介護者の会)

介護者の会
介護者家族会_交流会

いらっしゃいませ。群青亜鉛(ぐんじょうあえん)と申します。介護福祉職等の専門職ではなく、一般の市民世話人として、当事者会に関わり約16年です。

当事者が運営の主体の会です。運営の主体とは何を指すのかと言うと、会をどう進めていくか、何をするかなどは、すべて当事者が決めて動いていると言うことです。事務局は社会福祉協議会です。私が関わっている会は、2つあります。

”障がいを持った高齢者の介護者の会”(こちら世話人)と、
”認知症介護者の会”(こちら一会員)です。
どちらも20年弱の歴史があり、代替わりもし、消滅せずに継続出来ています。 (会員としては、どちらも20年弱在籍?しています。)

運営には常に頭を悩ましていますが、会が継続出来ているのは、それは、世話人や力を出せる方々が常に考えて、出来ることを行動に移しているからかもしれないと近頃思う様になりました。

会のイメージは、介護を経験されている方々が大多数で、思うところを語り合える、うんと年の離れた友人(同士??)が沢山いる印象です。

今必要なことは、次の世代に繋げること。そのために、色々なことを分かる化、見える化している最中です。発言力や行動力、発信力、などを考えると、柔らかい頭の若い世代が入って下さることはとても大事だと感じています。(私が入会するきっかけは、祖母の介護で情報が欲しかったからです。34歳位の時だったかな?)

全国で、社協がバックアップしている介護当事者会が消滅し、減少している中で、継続している当方が関わる会が2つ。

きっと会の運営を模索されている方は表には出てきませんが沢山いらっしゃるのではないかと思い、タイトルとして挙げてみました。

そのヒントはこのブログを読んでいただけると、あちこちに見つかると思います。

思うところはちらりちらりとアップしております。どうぞいらしてくだしゃんせ。よろしくお願い申し上げます。

症状はすぐ進む。辿り着いて人のお知恵を拝借、認知症介護者会。早めの検査。


波乗り。だわよ。

認知症介護者の会、この会があることは大分前から知っていたんです。とは、
会に辿り着いた方(ご家族)が大概 おっしゃることなのだそうだ。


ここがあることは、地域包括さんに聞いて知っていました。


まだ大丈夫だろうと先延ばしにしていて、
症状が重くなり、介護者家族がクタクタになり、どうにもならなくなり、
それからようやく駆け込んで来られる方が多いと聞く。

その時には、認知症の症状がかなり進行してしまっていることが多いとのこと。

もどかしいことが本当に多々あると社協の職員さんから聞いた。

もっと早く訪れてくれていたら、、、

違う関わりができたかもしれない。悔やまれる場合が近頃多いのだという。

当事者の会は、人が集まる場所なので、好き嫌いあるだろう。

が、

情報に触れるきっかけとして、

一度は家族会を訪れてみていただきたい。出来るだけ早めに。

当事者の視点はとても大事で。

認知症の方への対応は、

教科書化されているものを信じる方が多い。

(とても、多い。大変、多い。絶大なる信頼を寄せている方もおられる)

加えて認知症のことは報道でも取り上げられることが多いので、
あえて学ぼうと提案をすると、
もういいじゃない、通り一遍等のことはみんな知ってるでしょ、

と 軽くあしらわれることもあるのである。

いんや、否。実は当事者視点が抜け落ちているものが

たくさんあるのだ。

それは当事者の方々より聞かれることである。

声かけの訓練しかり。

認知症サポーター養成講座然り。

まして、

キャラバンメイトのフォローアップの研修でさえ。

終わった後での違和感が残るのだという。

講話なども終了後は、介護を経験された方が、

あの部分は、、、解せないわ。と、疑問を感じた点の共有(オンパレード?)となる。

私は大体それを、口をポカンと開けながら聞いている。

へーほーはー。

教科書といわれるものには、当事者視点が抜け落ちていることが多い。様子だ。

当事者は思っている。

こんな偉そうに言われたら、腹たつわ。納得しないよね。
そうは言うけど、こんな場合もあるのよ。そこが抜けてるわ。
この資料は、直接接したことのない方が作られたものよね。

私は知っていると、固まった頭の方に、

うんちくを語られても、

辟易するだけで、

実際に経験されている方は、

へいへい、聞いているフリだけで、思っている。

「こりゃ、あきませんわ。」


実際に介護経験者が集っている、

認知症介護者の家族の会(地域によって名称は異なります)

に、一度は訪ねてみてほしい。

私が関わっているものは、

当事者が主体となって運営していて、社会福祉協議会が事務局になっているものである。

合う、合わないはあるにしても、お知恵拝借出来ます。
あなたの引き出しが増えることは間違い無いです。

声かけ訓練とは、、、高齢者をはじめ、誰でも安心して暮らせる地域を目指して、例えば道に迷っている方に声を掛けたり、適切なところに繋げる、訓練。声かけ 訓練。全国で広まりつつある取り組みの一つ。

教えてあげたい病(やまい)=教えタイタイ病。

当事者会(介護者の会。介護者が中心の会。事業所が主宰しているものとは異なる)に長年関わっていると、だんだん引いた視点になってくる。全体を見ると言うのだろうか。参加者個々のお悩みはそれぞれで解決策を見出して、最終的には取捨選択は、介護者ご本人である。介護にくたびれ果てて、精神的にダウナーであったとしても、ご本人の回復力(精神的な)を信じる。これに限ると感じている。

だが、介護経験者の心のうちは色々複雑なものがあるので、新たに来られた方に、自分のような失敗をして欲しくないとの思いが大変強い様子である。

要介護の個人個人の状態や背景は全く異なる。だが、聞く姿勢もそこそこに、ご自身の中の知識や介護常識と照らし合わせ、あてはめて、パターン化をし、

いずれはこうなってこうなってこうなるだろうから、今はまだ可愛いもんですよ。 じっくり関わって差し上げたらいいですよ、と、先取りをして語ってしまうことが多々ある。(余計なお世話ぢゃないかぃねえ〜)

当事者会にようやくたどり着かれたご本人。安心してね。まずはそこを拍手喝采〜、

のはずなのだが、同じ介護者の先輩が、そこに不安要素をてんこ盛り投入したりする訳である。しかし善意からくるものだから、自覚はない。善意からくるものだから、、、一見ありがたーそうな内容だから、余計にタチが悪いと私は密かに思っている。傍らで見ているとハラハラするのである。

教えてあげたい病(やまい)=教えタイタイ病

いきなりこの場面に出くわした新たな参加者の方々、どうか怒らず、ムッとせず、その会の雰囲気や話せそうな人がいるかいないか、勘を働かせていただきたい。

当事者会は、介護のことを日常会話のように話しても誰も嫌がることはない貴重な場所である。うまく情報を仕入れて、毎日の暮らしに活かしていただきたい。

にゃんばりましょう、 ってどうかしら。

思い込んだら一途です。

オシゴト全う?

介護中の当事者が中心となり運営している地元介護家族会は、社協バックアップをしてくれて20年弱となる。毎月一回の定例会を行うのだが、簡単そうに見えるのだが、これを続けるだけでもかなり大変な労力を伴う。

年度末の定例会は恒例となり、近場の温泉もある施設に日帰りで行き、お風呂と食事とカラオケを楽しんで帰ると言うお楽しみ会である。

まあこれも開催するのは毎回、てんやわんやである。

“おんなじところに行くのはもう飽きた”、や、”たまには違うところに行きたい”、など。しかし大概どこでもそうだろうが、言う人は言いっ放し。モンク隊はモンク隊としての庶務を全う。口先だけは華々しいが、実際にいい会場を探して来られるわけではない。

ああでもないこうでもないとあれこれ探すも、ちょいと遠目になると交通費がかかり、有名どころとなると、食事代も一気にアップだ。そのいい塩梅のところを選ぶのに毎度ウンウンとなりくたびれ果てたのだが、いろいろなスタンスが見えてきて、もういいやと思えるようになった。

早10年弱紆余曲折ありながらも 、どうにか同じ所に落ち着いている。介護真っ最中の方は、要介護の方への食事には気を配られるが、ご自身の食事もままならなかったり、お風呂もゆっくり入れなかったりなので、この日帰り温泉食事会は大変好評をいただいている。

にゃんばりましょう、かしら

年が明けてからご主人を見送られた方が、久方ぶりにいらしていて少し、お話をした。 なんと声かけして良いか言葉が見つからない。何も言えないワタシだ。

 ーいろいろあってねえ、でも、頑張るわ。

  小さい体でおっしゃる。

 ええ そうですか、ご無理はなさらないでくださいねえ。 ふむ、こんなんもよいですよ。 “にゃんばりましょう” って、どうでしょう? 

ーあら、そう?にゃんばりましょう?それいいわね。 

そうそう、頑張りましょうってつい、肩肘張っちゃいそうですから、 ”にゃんばりましょう”^^^^^。結構いけると思うんですよね。

そうよね、  にゃんばるわ^^)

と、

そんなこんなで、声に出したからとて 気持ちのしんどさはあんまり変わらんかもしれませんが、 えっちらおっちら、まっ、

「 にゃんばりましょう。」 ですかぃねえ。